高百石で家中では中どころに数えられている三崎家の末弟、修助(しゅうすけ)。
学問嫌いで勉強のふりをして、黄表紙本などを読みふけっていました。
家中の子弟は、十歳になると藩校に通って孝経や論語などを学び、十五、六歳になると終日授業で四書五経のほか、
左伝、戦国策などを習いますが、終日生の段階で落ちこぼれる者もかなりいて、修助もその一人でした。
修助は藩校に行くと告げて、嫂の松乃(まつの)に弁当をつくってもらい、城下で三徳流を指南する曽我道場へ通っていました。
松乃は、せっせと義弟たちの婿入り口をさがしては、その手腕を発揮し、
二番目の新次郎(しんじろう)は百二十石の堀家、三番目の源之丞(げんのじょう)は八十石でしたが組頭の石野の分家と、
それぞれ身分いやしくない家の婿におさまっていました。
修助は、道場で頭角をあらわすようになると同時に、藩校の課業から次第に足が遠のき、
学問は途中で投げた形になっていたのを、修助の婿入り口を探していた松乃に知られてしまいます。
読み手:小坂憲央アナウンサー
学問嫌いで勉強のふりをして、黄表紙本などを読みふけっていました。
家中の子弟は、十歳になると藩校に通って孝経や論語などを学び、十五、六歳になると終日授業で四書五経のほか、
左伝、戦国策などを習いますが、終日生の段階で落ちこぼれる者もかなりいて、修助もその一人でした。
修助は藩校に行くと告げて、嫂の松乃(まつの)に弁当をつくってもらい、城下で三徳流を指南する曽我道場へ通っていました。
松乃は、せっせと義弟たちの婿入り口をさがしては、その手腕を発揮し、
二番目の新次郎(しんじろう)は百二十石の堀家、三番目の源之丞(げんのじょう)は八十石でしたが組頭の石野の分家と、
それぞれ身分いやしくない家の婿におさまっていました。
修助は、道場で頭角をあらわすようになると同時に、藩校の課業から次第に足が遠のき、
学問は途中で投げた形になっていたのを、修助の婿入り口を探していた松乃に知られてしまいます。
読み手:小坂憲央アナウンサー