昭和35年10月、日本社会党の浅沼稲次郎委員長が遊説のため来県しました。
当時の社会党は自民党とともに二大政党としていわゆる55年体制を形成していました。
山形市や米沢市、新庄市や当時の余目町で遊説を行ったわずか1週間後、
浅沼委員長は、東京・日比谷公会堂で行われた立会演説会で、演説中、突然、壇上に上がってきた
右翼活動家の少年に腹部を刺され非業の死を遂げました。
2025年6月17日放送
当時の社会党は自民党とともに二大政党としていわゆる55年体制を形成していました。
山形市や米沢市、新庄市や当時の余目町で遊説を行ったわずか1週間後、
浅沼委員長は、東京・日比谷公会堂で行われた立会演説会で、演説中、突然、壇上に上がってきた
右翼活動家の少年に腹部を刺され非業の死を遂げました。
2025年6月17日放送